一緒に働いているモデリストさんたちと、パリでやってるモードやアートの展示の話をよくるするのですが、そのときに、ずっと行こうと思ってたのにすっかり忘れてしまっていた展示の話がでて、調べたらちょうどその日が最終日だったので滑り込んできました。
去年から、パレ・ド・トーキョーでは、モードのプロジェクトが始まっていて、一番始めのクロエの展示をブログでも紹介しました。今回行ってきたのはその続きとなる、Roger Vivier(ロジェ・ヴィヴィエ)のアトリエを開いた1930年代の初期から、現代のデザイナーBruno Frisoni(ブルーノ・フリゾーニ)までのクリエーションの軌跡をたどる大回顧展、「Virgule,etc.」です。このvirguleとは、フランス語のコンマのこと。Roger Vivierは、20種類もの新しい独創的なヒールを世に送り出してます。その中のひとつに、1963年初頭に自身のブランドを立ち上げたときに発表した、"Virgule"というコンマの形をしたヒールがあり、展覧会名はそこからきています。ちょうど下の写真の左奥の黄色いパンプスで、ヒールが曲線的なものです。
ロジェ・ヴィヴィエの経歴をたどってみると、彼は17歳からパリの美術学校エコール・デ・ボザールで彫刻を学んでいます。余談ですが、この前記事を書いた、アズディン・アライアも彫刻を学んでいました。もしかしたら、この先ファッション関係に進みたい学生たちの進路先の選択肢の中に、美大の彫刻科も入れてもいいかもしれませんよね!靴を彫刻芸術のようにとらえて、美しいヒールのフォルムを常に探し求めていたからこれだけ多くのヒールを生み出すことができ、ブランドラベルがなくても、ヒールを見ただけでヴィヴィエの靴だと分かるように、ヒールはシンボルにもなってます。
その他にも、1953年にイギリスの女王、エリザベスⅡ世の戴冠式のために作った金色のパンプスをはじめとして、ウィンザー公爵夫人、プリンセス・ソラヤといった貴族からも、エリザベス・テイラーやブリジット・バルドーなどの女優たちからも、愛されていました。このように靴を高貴な芸術作品まで高めたのには、Lesageといったパリの刺繍のアトリエによる装飾もあったから。
1937年には、自身のアトリエをパリに開きます。そして瞬く間に、トップデザイナーとして名を馳せ、アメリカの靴メーカー、Delmanにデザインを提 供する契約を結びパリを離れアメリカへ渡ります。その後大戦のために革が使えなくなり、デザインから一時離れ、フォトグラファーのアシスタントとして活動する期間を経て、再びパリへ戻ったのは1947年。。デルマンがクリチャン・ディオールに靴を提供するようになったことで、実質ヴィヴィエはディオールの靴のデザイナーに。ディオールが亡くなってから数年後、ヴィヴィエが自身のブランドを立ち上げた1963年まで、ヴィヴィエとディオールのオート・クチュールメゾンとのコラボレーションは続きました。靴のラベルが、Delman Christian Diorから、Christian Dior par Roger Vivierになったものは、ディオールがヴィヴィエの才能に惚れ込み、1955年にパンプスのシリーズを展開するレーベルを新しく立ち上げたときにつけたもの。この時代に1人の靴職人とデザイナーとの共同経営は、とってもめずらしいことだったようです。
前述したように、1963年にRoger Vivierの名前でパリでブランドを立ち上げ、バルマン、ニナリッチ、グレ、といったたくさんのクチュールメゾンとともに仕事をするようになります。すでに彼の名声は知れ渡っていましたが、1967年、イヴ・サン・ローランのモンドリアンコレクションのために作った、バックルがついた黒のエナメルのパンプス(上の写真の黒いパンプス)を、カトリーヌ・ドヌーブが映画「Belle de jour」で履いたことで火がつき、世界中で20万足も売れるという大ヒットに!アフリカからインスピレーションを受けて作った楽しいサンダルも、YSLのbanbaraコレクションで着用されたり、エマニュエル・ウンガロのために作ったニーハイブーツもありました。
1998年にヴィヴィエは亡くなくなりますが、2000年にトッズグループがロジェ・ヴィヴィエのブランドを取得してから、2002年からBruno Frisoniが新しいクリエイティブ・ティレクターとして、ヴィヴィエの精神を引き継ぎながらも、現代に合わせて解釈し直して新しい靴やアクセサリーをデザインしています。
この展示は、またまた登場のモード美術館館長、オリビエ・サイヤール氏がキュレーションを担当し、ちょっと楽しい遊びを仕掛けていました!展示室全体は、19世紀の博物館をイメージして、靴やアクセサリーは数種類ごとグループに分けられて、ルーブル美術館を思い起こさせるような古風で趣のあるショーケースに入れられてました。そのショーケースには、”アートオブジェの小部屋”、”後期印象派のギャラリー”、”エジプトのアンティークのデパート”といったように、ひとつの部屋として考えられた名前が付けられ、また、靴ひとつひとつに、サイヤール館長が考えた題名が添えられてて面白かったです。本当の注釈や説明は一切展示室にはなく、すべて入り口に置いてあった小冊子を参考に、という具合でした。
これは、ニューヨークのメトロポリタンミュージアムに所蔵されている、1960年のクリスチャン・ディオールのために作った靴が樹脂で固められた作品。
たった1ヶ月半の短い展示だったので、アライア展のようにもっと長かったら、たくさんの人が行けたのにと残念です。私も仕事帰りに急いで駆けつけて、何の準備もなく行ってしまったのですが、疲れも吹っ飛ぶような美しさに酔いしれ、頭の中はふわふわのまま美術館から出てきました。次回は、何をみせてくれるんだろう!!とっても楽しみです。
載せられなかった写真をアップしてるので、もし興味があったら覗いてみてください
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