2013年12月27日金曜日

パリで選ぶ今年のクリスマスケーキ Vol.2 Gerard Mulot

前回の続きなのですが、クリスマスの時期だけだからって自分に言い訳して、続けて翌日もケーキを買ってしまいました。
ここも、仕事帰りに行けるところで探したのですが、サンジェルマン・デ・プレから歩いてすぐのオデオンという駅にある、Gerard Mulot(ジェラール・ミュロ)というお店。日本のお茶屋さん、寿月堂の目の前にあります。以前ブログでも寿月堂のイベントを紹介してます。
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やっぱりこの時期は、お店の外までケーキを買うための列が続いてるほど人があふれてたけど、待ってる間も子どもたちもみんなとっても楽しそう。お店の人たちも総動員で次から次にやってくるお客さんに対応してました。
店内は、洗練されたおしゃれなところ、というよりは、みんなに愛される馴染みの街のパン屋さんな感じ。入り口手前にケーキのショーケースがあり、ここでケーキを選びます。レシートを受け取ったら、奥に位置するパンのコーナーにあるレジでお会計をする、という仕組み。その間には、お惣菜のコーナーもあり、キッシュやテリーヌ、サーモンパイやピザなどなどがあって、これもまたまたおいしい!!
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選んだケーキは、Magie Noirという、ナッツとクッキーとドライフルーツの生地上にチョコレートクリームがのったケーキ。ナッツのサクサクの層とクリームの層があって、チョコレートも2種類で、どこから食べるのかで味が変化して楽しい!店構えが素朴な感じなのに、ケーキのモダンなデザインのギャップがいい。そして、Coeur Frivole という二種類のチョコレートムースのケーキ。写真を撮るのを忘れてて、ちょっと食べかけの写真ですみません。両方ともチョコ系にしてしまったって、後から気づいたので、今度は他のを試してみたいです。
ここは、パンとお惣菜、そしてデザートまで揃ってるし、20時まで開いてるからとっても便利。実は、ここ行く前に二軒空振りしてました。イヴだったので、早くお店を閉めてしまってたり、ほとんどものがなくなってしまってたり。このお店は遅くまで開いてるから、最後の切り札にしてたところだったので、開いててほんとに一安心。
帰りに、ちょっと寿月堂にも寄って、茶道のお稽古で一緒のマダムにあいさつしに行ったら、お茶とお菓子のクリスマスプレゼントまでもらって、すごくうれしかった!!ごちそうさまでした!ケーキを買いにいったけど、結局は日本のお菓子に一番癒された気がする。
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76, rue de seine 75006 Paris
水曜日が定休日。6:45-20:00
そして、11月にオープンしたばかりのサロン・ド・テもここから歩いて2分くらいのところにあります。
ケーキを食べに行くのはもちろん、11時〜15時までならランチも食べれます!
12, rue des 4 vents - 75006 Paris
水、日はお休み。 11:00-18:30
予約は、01 43 26 91 03
 Facebook作りました。パリの生活、いろいろ載せてます。

2013年12月12日木曜日

フランス唯一のアアルト建築。デュシャンやミロも招かれた、ギャラリストのルイ・カレ邸の見学ツアー

行ってきたのは少し前のことなのですが、最近モードの投稿が続いたので、少しはずして、建築の見学ツアーについて書こうと思います。
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建築好きの友だちが誘ってくれて、パリの郊外にある、20世紀を代表するフィンランドの近代建築家の1人、アルヴァ・アアルトが1959年に建てたフランスに唯一現存する、Maison Louis Carré(ルイ・カレ邸)に今年の秋に行ってきました。アアルト建築は、映画「かもめ食堂」に登場して一躍有名になった、カフェ・アアルトのあるアカデミア書店、出世作となったパイミオのサナトリウム(療養所)、フィンランディアホールなどなどいろいろありますが、外国でもたくさん建築を残してると思っていたら、フランスではここだけみたいで意外でした。
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ここは、コレクターでギャラリストのLouis Carré(ルイ・カレ)が、晩年に奥さんのオルガと一緒にパリから40km離れた場所でゆっくり過ごすために建てた、ギャラリー兼住宅。郊外へ行く列車RERのC線に30分くらい乗って、Saint-Quentin-en-Yvelinesで降りました。パリの郊外にある近代建築の邸宅といえば、このブログでも以前紹介した1931年に完成したコルビュジエのサヴォア邸を最初に思いだす人が多いかもしれません。カレ自身は、コルビュジエと34年にすでに出会っていて、パリ16区にあるコルビュジエのアパートに住み、彼の展覧会を開いていたほどの仲。だから最初は、コルビュジエに依頼しようと考えていたけど、コンクリートを好まなかったカレは、友人から噂を聞いていたアアルトに手紙を書くことにしたそう。
駅までは、ガイドさんが車で迎えにきてくれて、オーストラリアから来たという建築家の人と一緒に乗り込み、10分くらい田舎道を行くと木の生い茂った門に着きました。林で覆われて外からはぜんぜん分からない小道を過ぎると、ぱぁーっと明るく開けたところに白い建物が。この出会いの感じは、サヴォア邸と似てるのですが、サヴォア邸はふんぞり返るようにどでんと構えて、どちらかというとまわりから浮いてるように建ってるように見えるのに対して、カレ邸は、土地の傾斜に合わせた屋根や、少し離れて見ると、もう背景にとけ込んでしまってわからなくなってしまうくらいでした。
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外から格子の間から覗いてたように、天井がこんな風にカーブになってました!ギャラリストのカレは、たくさんのコレクションをこの家に飾るため、美術館の壁のように真っ白にしてました。ここはエントランスなのですが、この壁にも当時は絵画が飾られていたようです。画家のアトリエやギャラリーでは、直射日光が入らない北向きが好まれるように、このギャラリーを兼ねてるエントランスも北向きでした。やわらかい光が入ってきます。
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ガイドさんが、それぞれの部屋で解説をしてくれながら、みんなで進んでいきます。ここはリビング。
このカレ邸は、アアルトの二番目の奥さんである、建築家でありデザイナーのエリッサが現場を任され、長い時間ここで過ごしたようです。ちょっとだけ見えてる、赤のラグもエリッサのデザインしたもの。カレは、この家の作品としての価値に気遣い、以前住んでいたときの家具は一切持ち込まず、多くの家具や照明、テキスタイルは、この家のためにアアルト夫妻がデザインした特注のもので、その他は、アアルトと彼の仲間たちが立ち上げた家具メーカーのartekから選んでいます。インテリアにも興味があったカレの徹底した心意気に、胸うたれます。
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ダイニング。 このつり下がってる照明が面白くて、壁にはここにも絵画が飾られていたので、テーブルと壁と両方に光が当たるように下向きと横向きにも穴があいてました。
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カレの書斎。
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カレの寝室。奥には、お風呂とサウナがあります。
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カレの奥さん、オルガの部屋。カレは1977年に亡くなり、この家に15年ほどしか住んでいませんが、オルガはその後も25年間、2002年になくなるまでずっとここに住んでいました。だからなのか、人のぬくもりを感じさせる、とても温かい雰囲気のする場所です。大きな窓からは、森が目の前。それぞれの部屋には、直接お庭に出れるように出口がついてて、お庭もお家の一部みたいになって、外で出会ってコミュニケーションがとれるのが面白い。部屋は朝日が入るように南向き。
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お庭に出てみると、斜面を等高線みたいに切った階段が下に続いていて、プールもあったのですが、まだきれいに整ってなくて見せられない状況。
この広いお庭では、マルセル・デュシャン、ジョアン・ミロのような世界的なアーティストたちから、フィンランドの大統領までも招かれ、パーティが開かれたり、演劇や演奏会なども行われてたなんて、素敵な暮らしぶりが目に浮かびます!
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ぐるっと一周してくると分かるのですが、それぞれ、全く違う顔。ここはリビングの外壁。煙突もデザインしてあって、かわいかったです。
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アアルトの北欧の自然と、カレのフランスのアートのライフスタイル、両方が混じり合った、カレが依頼主じゃなかったらできなかっただろうって思う、家でした。1996年には、フランスの歴史的建造物に登録され、2007年から一般公開されるようになりました。
私は、友だちが誘ってくれなかったら、知らなかった場所なのですが、あまり交通の便のいい場所ではないのに、見学の人たちもとぎれないほど、かなり人気のとこでした。建築の学生たちもたくさん来てて、芝生に座ってスケッチしてたり、写真をたくさん撮っていたり。ガイドさんに教えてもらったのですが、カール・ラガーフェルドもカレ邸で雑誌のヴィジュアルの撮影をしてます。
建築のことあまり知らない私の個人的な好みでは、サヴォア邸よりもずっとカレ邸のほうが好きです。住んでみたくなるようなうらやましくなってしまうようなところでした。建築に興味ある方はぜひぜひ訪れてみてください!!
見学に予約が必要です。土日の午後のみです。詳しくはこちらのサイトへhttp://www.maisonlouiscarre.fr
Facebookつくりました。載せられなかった写真などなどアップしてます。

2013年12月6日金曜日

ティルダ・スウィントンとサイヤール館長のドレス作りのパフォーマンス "Eternity Dress"

数年前からコンテンポラリーダンスを観に行くマイブームが続いてます。劇場の会員になって年間チケットを買うとお得なので、6月に来年の夏までのチケットを買ってます!最近の私の投稿には、パリのモード美術館ガリエラのオリビエ・サイヤール館長があちこちに登場していますが、その本人と女優のティルダ・スウィントンのパフォーマンス”Eternity Dress(永遠のドレス)"を先週観に行ってきました!
これは、フェスティバル・ドートンヌ・パリ、という秋から冬にかけてのパリ市で毎年行われてる、ダンスや演劇、音楽の祭典の中の一つのパフォーマンス。この祭典についても、去年も書いたと思うのでこちらを参考に
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 © Vincent Lappartient
このパフォーマンスは、サイヤール館長(右の男性)が、ティルダ・スウィントンをモデルにして、古典的な方法で、一着のドレスの作り上げていくというもの。パリのメゾン、クロエが協力し、1年前からサイヤール館長はクロエで服作りの基礎を学び、準備をしてきたそうです。まずは、採寸からはじまります。測る位置を観客に知らせてから、上の写真のように、順番に測っていき、作図をして、パターンを作り、トワルに写します。もちろん、すべてを行っている時間はないので、料理番組のように工程ごとに準備してあるものを使って、重要な部分を切り取って見せてくれました。こうやって服作りの基本をパフォーマンスとして表現されるのは新鮮だったし、何も知らなかった学生の頃、先生たちが実演してくれたミシン縫いや立体裁断は魔法のようで心躍ってたことを思い出しました。観てると、どんどん作りたくなってきてしまいました!!
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 © Vincent Lappartient
これは、パターンを写したトワルを切って、組み立ててるところ。ティルダが、針山からピンを1本ずつとって、周りの人たちがそれを受けとってました。この後、ティルダが部分的に縫う場面があるのですが、トワルを着たままなので、つっぱってしまったりするとこがあって、不格好なものになってしまったのが、かわいかった。
ドレスのデザインを考えてるシーンでは、クロエのアトリエで作られたとっても素敵な数十種類もの様々なデザインの衿や袖を試してたのですが、これがいいな、あれはあんまりよくない、なんて一緒になって選んでいたりして、どんなのができあがるのか、わくわくしてきます!!
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 © Vincent Lappartient
デザインが決まったら、生地を選んでいるところ。ドレスを着ているように布を纏って。
最後できあがったドレスを着て、歴代のデザイナー、メゾンの名前を言いながら一つずつにポーズを決めて終わるのですが、マドレーヌ・ヴィオネやディオールから始まって、最後はコム・デ・ギャルソンで締めくくられました。
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TILDAと刺繍の入った、ボディ。たぶん、採寸した体型を表したものなんじゃないかなと思います。
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場所は、パリの美術学校ボ・ザールの講堂。数十人しか入れないとても小さな会場でぎゅうぎゅうづめになって座って観てました。サイヤール館長は「ただ一着のドレスを作る、それ以上のことはないパフォーマンスだけど、このドレスは、モードの歴史を凝縮した20世紀すべてのドレスの幻影」と言うように、内装も豪華で、このドレスが収まるにぴったりのところでした。私は初日に行ったのですが、公演が終わってから横をちらっと見たら、3つとなりにアズディン・アライアも観に来ていました!モード美術館で今開催されている、アライアの回顧展に行ってきたばかりだったので、とってもびっくりしました。
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写真にも応じてくれる、気さくな方でした!
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美術館の展示をはじめとする、最近のパリのモード関連の多くのイベントにサイヤール館長が関係していているので、彼の影響はパリ市民に少なからずあると思います。「先見性があったモードは、もう何も見えなくなっている」と語る、サイヤール館長は、繰り返しやってくるシーズンに追い立てられながら生みだされていく、コレクションの氾濫に対して、モード界の未来を憂いているようで、もう一度、一着の服作り、という原点に戻ってみよう、そうみんなに語りかけてるように感じました。
載せられなかった写真をアップしてます。

Roger Vivierの目眩めく美しい靴の世界に浸ってくらくらしてしまう"Virgule,etc."展

一緒に働いているモデリストさんたちと、パリでやってるモードやアートの展示の話をよくるするのですが、そのときに、ずっと行こうと思ってたのにすっかり忘れてしまっていた展示の話がでて、調べたらちょうどその日が最終日だったので滑り込んできました。
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去年から、パレ・ド・トーキョーでは、モードのプロジェクトが始まっていて、一番始めのクロエの展示をブログでも紹介しました。今回行ってきたのはその続きとなる、Roger Vivier(ロジェ・ヴィヴィエ)のアトリエを開いた1930年代の初期から、現代のデザイナーBruno Frisoni(ブルーノ・フリゾーニ)までのクリエーションの軌跡をたどる大回顧展、「Virgule,etc.」です。このvirguleとは、フランス語のコンマのこと。Roger Vivierは、20種類もの新しい独創的なヒールを世に送り出してます。その中のひとつに、1963年初頭に自身のブランドを立ち上げたときに発表した、"Virgule"というコンマの形をしたヒールがあり、展覧会名はそこからきています。ちょうど下の写真の左奥の黄色いパンプスで、ヒールが曲線的なものです。
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ロジェ・ヴィヴィエの経歴をたどってみると、彼は17歳からパリの美術学校エコール・デ・ボザールで彫刻を学んでいます。余談ですが、この前記事を書いた、アズディン・アライアも彫刻を学んでいました。もしかしたら、この先ファッション関係に進みたい学生たちの進路先の選択肢の中に、美大の彫刻科も入れてもいいかもしれませんよね!靴を彫刻芸術のようにとらえて、美しいヒールのフォルムを常に探し求めていたからこれだけ多くのヒールを生み出すことができ、ブランドラベルがなくても、ヒールを見ただけでヴィヴィエの靴だと分かるように、ヒールはシンボルにもなってます。
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その他にも、1953年にイギリスの女王、エリザベスⅡ世の戴冠式のために作った金色のパンプスをはじめとして、ウィンザー公爵夫人、プリンセス・ソラヤといった貴族からも、エリザベス・テイラーやブリジット・バルドーなどの女優たちからも、愛されていました。このように靴を高貴な芸術作品まで高めたのには、Lesageといったパリの刺繍のアトリエによる装飾もあったから。
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1937年には、自身のアトリエをパリに開きます。そして瞬く間に、トップデザイナーとして名を馳せ、アメリカの靴メーカー、Delmanにデザインを提 供する契約を結びパリを離れアメリカへ渡ります。その後大戦のために革が使えなくなり、デザインから一時離れ、フォトグラファーのアシスタントとして活動する期間を経て、再びパリへ戻ったのは1947年。。デルマンがクリチャン・ディオールに靴を提供するようになったことで、実質ヴィヴィエはディオールの靴のデザイナーに。ディオールが亡くなってから数年後、ヴィヴィエが自身のブランドを立ち上げた1963年まで、ヴィヴィエとディオールのオート・クチュールメゾンとのコラボレーションは続きました。靴のラベルが、Delman Christian Diorから、Christian Dior par Roger Vivierになったものは、ディオールがヴィヴィエの才能に惚れ込み、1955年にパンプスのシリーズを展開するレーベルを新しく立ち上げたときにつけたもの。この時代に1人の靴職人とデザイナーとの共同経営は、とってもめずらしいことだったようです。
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前述したように、1963年にRoger Vivierの名前でパリでブランドを立ち上げ、バルマン、ニナリッチ、グレ、といったたくさんのクチュールメゾンとともに仕事をするようになります。すでに彼の名声は知れ渡っていましたが、1967年、イヴ・サン・ローランのモンドリアンコレクションのために作った、バックルがついた黒のエナメルのパンプス(上の写真の黒いパンプス)を、カトリーヌ・ドヌーブが映画「Belle de jour」で履いたことで火がつき、世界中で20万足も売れるという大ヒットに!アフリカからインスピレーションを受けて作った楽しいサンダルも、YSLのbanbaraコレクションで着用されたり、エマニュエル・ウンガロのために作ったニーハイブーツもありました。
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1998年にヴィヴィエは亡くなくなりますが、2000年にトッズグループがロジェ・ヴィヴィエのブランドを取得してから、2002年からBruno Frisoniが新しいクリエイティブ・ティレクターとして、ヴィヴィエの精神を引き継ぎながらも、現代に合わせて解釈し直して新しい靴やアクセサリーをデザインしています。
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この展示は、またまた登場のモード美術館館長、オリビエ・サイヤール氏がキュレーションを担当し、ちょっと楽しい遊びを仕掛けていました!展示室全体は、19世紀の博物館をイメージして、靴やアクセサリーは数種類ごとグループに分けられて、ルーブル美術館を思い起こさせるような古風で趣のあるショーケースに入れられてました。そのショーケースには、”アートオブジェの小部屋”、”後期印象派のギャラリー”、”エジプトのアンティークのデパート”といったように、ひとつの部屋として考えられた名前が付けられ、また、靴ひとつひとつに、サイヤール館長が考えた題名が添えられてて面白かったです。本当の注釈や説明は一切展示室にはなく、すべて入り口に置いてあった小冊子を参考に、という具合でした。
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これは、ニューヨークのメトロポリタンミュージアムに所蔵されている、1960年のクリスチャン・ディオールのために作った靴が樹脂で固められた作品。
たった1ヶ月半の短い展示だったので、アライア展のようにもっと長かったら、たくさんの人が行けたのにと残念です。私も仕事帰りに急いで駆けつけて、何の準備もなく行ってしまったのですが、疲れも吹っ飛ぶような美しさに酔いしれ、頭の中はふわふわのまま美術館から出てきました。次回は、何をみせてくれるんだろう!!とっても楽しみです。
載せられなかった写真をアップしてるので、もし興味があったら覗いてみてください