2015年4月18日土曜日

パリの “ カワイイ ” ルーツはここにあり! カルナヴァレ美術館

4月も半ばになって、なぜか今週は急に暖かくなって、春も通り越して夏みたいな気候でした!サングラスなしでは目を開けてられないくらい日差しがサンサンとして眩しいくらい。でも来週からはまたぐっと涼しくなってしまうみたいで、二転三転するパリの春に振り回されてます。
パリに来て6年経ちますが、春になると来たばかりの頃を思い出したりして気持ちも引き締まります!最初の年は、とにかくどこへでも出かけてたのですが、最近は同じところばかりぐるぐるしてしまってる感じです。そんな風に過ごしてたときに、まあいつか行けばいっかぁと思って後回しにしてたようなところにふと出かけたら、ひょんなことに素敵な出会いがあったりするのも面白いところ。
たまたま無料だったのでふらっと立ち寄ってみた、古い邸宅が立ち並ぶ歴史の趣きのあるマレ地区にある、カルナヴァレ美術館に意外な発見がありました!
カルナヴァレ美術館こと、パリ市歴史博物館でもあり、彫刻、絵画、版画、写真、などなど、58万点にも及ぶ、パリに関連する資料を有する、パリの歴史を知る上で欠かせない場所であるのは確か。なんでここに今まで来なかったんだろうって思いました。
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入ってみて、まず感じたのが、いわゆる敷居の高い博物館のかたくるっしさが全然なく、とにかくどこの部屋へ入ってもかわいい。パリの“カワイイ”のルーツはここにあったのか!となるほど納得。
壁紙もなんでシマシマなの!展示してあるおもちゃみたいな太鼓、木の兵隊さん、家具からなにまで、パリっぽいって思うものばかりです。
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マレ地区の中でも、歴史の一番古い建物の一つで、16世紀にパリ議会長だったJacques des Lignerisのために作られたルネサンス建築の邸宅。その後いろんな人に渡り様々な変遷がありますが、大きな転換期は皇帝ナポレオン三世のフランス第二帝政時代の知事ジョルジュ・オスマンが指揮したパリ改造。現在まで残るパリの都市景観の礎を築いたこのパリの大改造計画の一環に、これまで教会や市庁舎にばらばらに保管されていたパリの資料や芸術品を集めて保存展示するための歴史博物館を作ることが持ち上がりました。そのために、このカルナヴァレ邸宅を1866年に購入、1871年に博物館を開館しました。
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ルイ15世の時代の王室が美術コレクションを増やしていった頃から、芸術支援を厚くしていたルイ16世の時代、そして、ルーブル美術館が開館したフランス革命の時代から、パリ万国博覧会のベル・エポックの時代までパリの大波乱の黄金期を中心に集められています。当時の室内の調度もたくさん展示されていて素敵でした。
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芸術品がたくさんある、というわけではないので、ルーブル美術館やオルセー美術館にはもう行ったことあるし、何回も来て行くとこない!っていう人や、パリの歴史にも詳しくて骨の髄まで愛してるっていう人にはもってこいの場所だと思います。正直なところ全然期待していなかったので、こんなにかわいいところだのかと、やられた!という感じでした。意外な発見がありますよ。
CARNAVALET MUSEUM
16, rue des Francs-Bourgeois
75003 Paris
10時〜18時 月曜日休館

   
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2015年4月14日火曜日

ロンドン!ヴィヴィアン・ウエストウッド ファッションショー!

年末年始にかけて、表参道ヒルズの地下の、スペース オーでは、
ヴィヴィアン・ウエストウッド シューズ展」 行われてましたが、
私も、年末に帰ったときに、一番に行ってきました。
みなさんも、ヴィヴィアンの靴の魅力にどっぷりはまってしまったはず。
ショーでころんでしまうような、普段では履けない靴たちを作ってしまうのも、
靴が大好きでしょうがないっていうのが、すごく伝わってくる展示でしたよね!
記事をアップするのを忘れてしまって、遅くなってしまったのですが、
ヴィヴィアンのショーにも行ってきたので、報告です!!
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一昔前の、ディスコのような雰囲気の会場。
カラフルなレーザーが会場をつつみ、何十年か前にタイムスリップさせてくれる!
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今回のコレクションのテーマは、ロンドン!
世界が大きく動いた17世紀、イギリスは政治的にも商業的にも地位を得る。
自由を探し、開拓して、世界中にばらまいた、英国。
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photo: VOGUE
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photo: VOGUE
学者のガウンをイメージした、真っ黒の四角く覆われたスーツ。
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photo: VOGUE
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photo: VOGUE
 
生地だけで、ロンドンぽいって思ってしまうから不思議。
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photo: VOGUE
ふわっふわのドレスと、とっても高いヒールにママチャリっていう、
なんともアンバランスな組み合わせが、彼女らしい!!
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photo: VOGUE
でも、やっぱり一番輝いてるのは、いつも、ヴィヴィアン本人。
いつまでもとっても魅力的な女性です。
こんなに、かわいく歳をとれたらいいなぁ。

2015年4月7日火曜日

アルベール・エルバス氏がディレクションした、ジャンヌ・ランバンの大回顧展がパリ市モード美術館で開催

先週の日曜日から、ヨーロッパはサマータイムになり、1時間早まりました。日本との時差も7時間。仕事が終わって外に出てみてもお昼みたいに明るくて、なんだか得した気分ですが、まだまだ肌寒いです。コートを着なくてもよくなる日を待ち望みながら、気持ちだけは春のうきうきした軽やかさでいっぱいです。
春先から夏のバカンスまでのパリの街ら、これでもかっていうくらいに、モードであふれた時期になりそうです。パリのあらゆる美術館で面白い展示がなされてるので、ぜひぜひ訪れてみてください。

その中でも見逃せないのは、パリ市モード美術館で行われている、去年125周年!を迎えたメゾン・ランバンの創始者、ジャンヌ・ランバンの偉大な功績を体系的に巡る大回顧展『JEANNE LANVIN』です。


AFFICHE



1980年初頭、アトリエの屋根裏部屋の奥深くで、500体以上ものジャンヌ・ランバンの時代の作品が詰まったトランクが見つかりました。彼女が亡くなった1946年以降、すっかり忘れ去られてしまっていたものでした。それらを保存、アーカイブ化する目的で、メゾン・ランバンの文化遺産部門が発足。(現在は広報部門に集約されてます。)この流れの中、去年ついにメゾン創設125周年を迎え、パリ市モード美術館とメゾン・ランバンとのコラボレーションで、ジャンヌ・ランバンの大回顧展が開催されることになりました。現在も変わらず続いているクチュールメゾンの中でランバンが一番歴史が古いです。
パリ市モード美術館はブログでも何度も紹介していますが、2013年にアズディン・アライア展でリニューアルオープンを迎えて大成功を収め、モードの歴史を主軸にこれまでにも素晴らしい展示で世界中の人たちを魅了し続けている、ファッション好きには人気のスポット。今回の展覧会全体のディレクションは、ランバンのアーティスティック・ディレクターのアルベール・エルバスが担当し、手がける展覧会がいつも評判の高い才能あふれるサイヤール館長自身がキュレーションを担当した最高のコンビ。間違いなく面白いはずだと確信してずっと楽しみに待っていました。

資料としての学術的な要素だけではなく、現在のメゾンに携わっていて、その後の行方の舵を握っているエルバス氏のジャンヌ・ランバンへの称賛とリスペクト、 そして愛のあふれる内容となってました。




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オープニングに駆けつけたのですが、会場はものすごくたくさんの人で溢れかえって大盛況でした!!

19世紀の歴史的な建物に相応しく、きらびやかで、艶やかなドレスやアクセサリーが、博物館のような様相のガラスのショーケースに飾られていました。この空間に入るだけでも至福のひと時でした。


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皆さんよくご存知のランバンのロゴは、お母さんと娘がダンスをしている様子が描かれてるものです。

[youtube=https://www.youtube.com/watch?v=G0SmqevW3HY]

これは、1924年にジャンヌの娘、マーガリット=マリー・ブランシュがまだ幼かった頃に舞踏会で2人が手をとりあって踊っている様子を撮った写真をもとに、当時売れっ子イラストレーターだった、ポール・イリブがデザインしたものです。1927年には、ジャンヌがマーガリットの30歳のお祝いに作った伝説的なアルページュという香水にも描かれ、現在までブランドのロゴとなっています。エルバス氏も“このロゴには、ブランドの精神が凝縮されている”と語っているように、展覧会も母の娘に対する愛を表現しているブランドの顔でもあるロゴにまつわるエピソードから始まりました。

Jeanne-Lanvin-par-Harcourt-©-Patrimoine-Lanvin-(72)

[youtube=https://www.youtube.com/watch?v=WTxl08CmMjE]

というのも、1889年に帽子デザイナーだったジャンヌが初めて自分のブティックを開きますが、娘のために作っていた子ども服が評判となり、1908年に子ども服ラインも展開します。1909年に本格的にレディースの服も始めますが、それに子ども服のほうが先立って始めていました。それに、婦人服を手がけるようになったのも、マーガリットの成長にともなってデザインが変化していったという必然のことだったのです。すべては最愛の娘のため。1911年にはウエディングドレスもデザインしますが、1917年に最初の結婚をする娘のことを見越してたんじゃないかなぁと思いました。
エルバス氏も、2008年からウエディングラインのコレクション・ブランシュ、そして2011年には、子ども服のランバン・プティを次々と展開してます。

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Les-petites-filles-modèles,-1925-©-Katerina-Jebb-(72)

そして、ジュエリーのようなビーズやスパンコールの刺繍されたドレスがキラキラ輝いて、館内が宝石箱のようでしたが、そうしたジャンヌのデザインのインスピレーションの源の秘密が明かされます。

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La-Cavallini,-1925-©-Katerina-Jebb-(72)

メゾン・ランバンの、パリのマドレーヌにあるブティックの3階(日本式に4階)には、当時ジャンヌ・ランバンが過ごしていた、ユージニー・プリンツが内装を手がけた書斎が現在も大切に保存されています。普段は非公開ですが、歴史的建造物の日には、一般に限定公開されたこともありました。
ここには、ジャンヌが旅先で見つけてきたエキゾチックな布や伝統的な生地がガラスケースに入れられていたり、膨大な刺繍のサンプル帳、旅行日記、動物や花の本、顧客に披露したモデルのすべてのデッサンや水彩画が、シーズンごとに素敵な布で装丁されている300ものアルバムに収められています。ジャンヌにインスピレーションを与えていた、これらの刺繍の本やデザイン画実際のドレスと一緒に展示されているので必見です。
125年もの歴史があり、現在までも続いているメゾンで、これだけ素晴らしく保存のよい状態でデザイン画までも残されているのはランバン以外にないんじゃないでしょうか。ジャンヌ亡きあとの後継デザイナー、アントニオ・カスティーヨ、ジュール・フランソワ・クラエ、クロード・モンタナ、そして現在に続くエルバール・エルバスまでものすべてのクリエーションのデザイン画を保存することが伝統となったそうです。

Jeanne-Lanvin-par-Laure-Albin-Guillot-(72)

また、ジャンヌは、ライフスタイル全般に目を向けていた、最初のファッションデザイナーでした。
1920年には、インテリア・デザイナーの、アルマン・アルベール・ラトーとコラボレーションして、ランバン・デコレーションという会社を作ります。ラグジュアリーな家具から壁紙までデザインしたり、パリの2区に今もあるドヌー劇場の内装も二人が手がけています。ランバンのブティックでもその当時のソファーやアームチェアが飾られているのでチェックしてみてください。また、ラトーが内装を手がけたジャンヌの住んでいたアパートの内装をそっくりそのまま装飾美術館に移築されてるので、こちらもぜひ見に行ってみてください。
ジャンヌ・ランバン彼女自身と、歴史と伝統を誇る世界のメゾン・ランバンの魅力にはまってしまうこと間違いなしのこの展示は、8月23日までです。装飾美術館と一緒に観に行くのがオススメ。ブティックを見に行くこともお忘れず。


   
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2015年3月3日火曜日

クラシックな中にもセンスが光るケーキで愛される、セバスチャン・ゴダールがカフェをオープン!

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正直なところ、最近は、パンよりお米、ケーキよりも和菓子のことで私の心はいっぱいです。それでも、お菓子の都、パリ。会社の人たちとお昼を食べに行くと、決まってワインを飲みながらメインを食べ、その後はしっかりデザートまでいただきます。
ケーキやタルトに注目して見てみると、最近のパリの新しくオープンするパティスリーの傾向として、アメリカ流のなみなみのクリームいっぱいのカップケーキか、すでに人気のあるお店が二店舗目、三店舗目を出すことが多いように思います。でも、遠い場所にあるとなかなか行けないので、自分の行動範囲内に好きなお店がもう1店舗できることは、やっぱりうれしいですね。
年末のことなのですが、週末に友だちといつものようにお昼を食べたあとにお散歩していたところ、チュイルリー界隈で偶然に新しいお店を発見しました。そこは、なんと、以前ブログでも紹介した、セバスチャン・ゴダールの二店舗目の新しいお店で、しかもカフェが併設されていたので、さっそく入ってみることにしました。
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一階には、テイクアウト用のケーキがずらっと並んでます。小ぶりでセンスのある上品なデザインで、クセのないシンプルで優しい味。どこか懐かしい感じのするのに、モダン。二つくらい食べれちゃいます。
店舗の広さはピガール界隈の食料品店街マルティール通りにある本店よりもこじんまりとしていますが、内容は本店とほとんど同じです。紅茶やチョコレート、ボンボン、ジャムなどもちゃんと揃っていました。
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レジのすぐ横には、クロワッサンやパン・オ・ショコラなどのフランスのトラディショナルなヴィエノワズリー(菓子パン)たちも。日曜日は9時から開いてるので、朝食用にも。

階段を上がって二階に、カフェスペースがあります!
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ソファーやデコレーションは、ブルーを基調にレトロな感じでとってもかわいかったです。それと、階段や壁に掛けられている、アンティークのプリントもおしゃれ。
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一階に並んでいたケーキやヴィエノワズリーをどれでも、二階で頼むことができます。もちろん、カフェや紅茶、ホットチョコレート、レモネードなどのソフトドリンクも一緒に。紅茶はカラフルな南部鉄瓶でサーブされました。メニューのイラストも素敵でした。
ここから歩いて数分先に、有名な老舗のカフェ、アンジェリーナがありますが、週末は特に行列になってることが多いので、待ちきれない方はぜひこちらに。確かに、歴史が長く趣ある内装のアンジェリーナのカフェに比べると見劣りするのは否めないかなと思いますが、ケーキの味はこっちのほうが私は好きです。テイクアウトしてホテルで食べるってのもいいかもです。
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PÂTISSERIE - SALON DE THÉ DES TUILERIES
1, rue des Pyramides 75001 Paris
火~土 10:00~20:00
日 9:00~19:00

   
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2015年2月25日水曜日

パリのフォルネイ図書館で、インディゴブルーの時空を超えた世界一周の旅。

2月後半にもなると、さすがのパリでも凍えるような寒さは通り過ぎて、すっかり空が晴れると春の暖かさが香ってくる気候になってきました。3月末から始まるサマータイムに向かっている、この冬から春に変わる時期は、わくわくそわそわします。
年始から2月までは忙しかったのですが、仕事の合間に茶道のお稽古に励んだり、図書館行ったりギャラリーめぐりに連れて行ってもらったりといった週末を過ごしてます。
美術館があることは知ってたのですが、あまり情報がなく、これまでは入りづらかったので通りすぎてしまっていました。そんなときに、面白い展示をやってるよ!って誘ってくれたので、初めて足を踏み入れることができました。『INDIGO, UN PÉRIPLE BLEU』と題した、インディゴブルーの世界の変遷をめぐる展示でした。それがとってもとっても素敵な内容だったので紹介します。
3.-Mains-Koo
ジーンズに代表されるインディゴブルーは、日本では藍色と呼ばれますが、インディゴ染めは、日本から中国、インド、中央アジア、東欧、そしてアフリカを通って中央アメリカまで地球をぐるっと一周して4000年も前から行われている、とても歴史の長い染色方法の一つです。そういったインディゴ染めが行われている世界中の地域から、300点以上もの衣装やアクセサリーが集められ地域ごとに展示されていました。
8.-Veste-patch-Zuong-Chine
6.-Manteau-turkmenistan
天然のインディゴ染めの染料となるものは、様々な植物から採取できるようですが、主に熱帯地域で栽培される、コマツナギ属のindigoferaという植物が使用されます。日本では12世紀ごろから藍染として親しまれ、中国大陸からもたらされた、ダテ科の藍という植物を醗酵させて、すくも、という原料を作ってます。
もっとも、現在では、質の良い高級な天然のインディゴは、インドでごく少数だけ栽培されるのみ。ジーンズを含め、インディゴ染めと呼ばれるもののほとんどは、1882年にドイツの化学者によって発明された合成染料で行われています。日本の場合、すくもを使った天然のものを「藍染」、合成染料を使ったものを、「インディゴ染め」といった具合に区別されてます。
四国が藍の有名な産地ですが、絣(かすり)、絞り、刺し子、筒描き(つつがき)、といった日本のあらゆる地域の藍染を使った伝統技術が紹介されていました。絣の着物の周りにはマダムたちがたくさん集まっていて、美しいって呟いてうっとりして見つめてました。着物だけではなくて、江戸時代の当時の消防士である火消の頭巾や羽織なども展示されていてました。江戸時代の町人の旅人姿、旅がらすのマントもかっこよかったです。
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それから、中国の少数民族のミャオ族の女性たちに伝承されるプリーツのスカートが本当に素晴らしかったです。夜空の黒に近いとても深い青から、からっと晴れた光り輝く眩しい空色まで、グラデーションにこれだけ幅があるのにも驚きました。技術はもちろんのこと、古くから伝わるものなのなに、とてもモダンなデザインでカラフルな刺繍もかわいらしかったです。面白いのが、この細かいプリーツのスカートは、遠く離れた50年前の東欧のハンガリーで似たようなスカートを見ることができるのだそう。彼女たちは自分たちの使う分を自分たちでお家の近くで栽培し、収穫して 染料を保存していたようです。そのほかにも、グアテマラのインディアンのカラフルな刺繍は、スロバキアのエプロンに同じような技術をみてとれます。年代も違い、人の往来のなかったであろう離れた地域の民族が、共通した技術を有していたのには驚きます。
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でも、現在では、都市へ人が流出してしまい、日本だけではなく世界中で、技術の伝承が危機に瀕している状況です。アフリカでは政治情勢や紛争のために職人たちが仕事ができなくなってしまってることも問題となっています。
このようなことから、世界各地の天然のインディゴ染めを、ユネスコの無形文化遺産への登録を目指して活動していて、その一環として今回この展示が行われました。
4000年の歴史のある現在でもその不思議な美しさで人々を魅了し続けるインディゴの青い糸を手繰り寄せながら、世界中を時空を超えた旅をしてしまったような気分でした。
4月18日までです。
展覧会情報は、パリ市図書館のサイトへ→http://www.paris-bibliotheques.org/expositions/indigo/
Bibliothèque Forney 1 rue du Figuier, Paris 4e
おしゃれにシンプルにリニューアルされた、パリ市のイベント情報サイトもぜひ→http://quefaire.paris.fr/fiche/102475_indigo

   
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2015年1月19日月曜日

パリのオートクチュールの歴史を移民文化との関係でとらえる意欲的な展示 Fashion Mix

先々週は日本でも報道されていたと思うので知っていると思いますが、パリで大きな事件が立て続けに起こりました。私のアパートが現場にわりと近かったのもあって、仕事へ向かうのに地下鉄に乗るのも怖かったです。
でも、統計では、怖いと感じているフランス人はたったの17パーセントしかいなく、オランド大統領が呼びかけた日曜日の表現の自由を訴えるデモ行進には、ヨーロッパの首脳も駆けつけ、パリだけで150万人、全世界各地合わせて330万人が参加したようです。翌る日の月曜日までは仕事場でもデモ行進のことでもちきりだったのですが、その後は街もすっかり平静を取り戻して、何もなかったかのようになってしまっているのが逆に恐ろしいです。
このテロがなぜフランスで起こったのか、というのは考えずにはいられませんでした。19世紀から移民を受け入れ始め、ヨーロッパの中でも移民の歴史が長い移民大国であるフランス。2005年の移民二世の暴動から、移民の選別と統合を強化する動きが高まってきていました。それに加え、フランス革命から育まれた、宗教的自由と国家の中立性を掲げる、ライシテ原理(政教分離と訳される)があります。この矛盾をはらんだ原理のもとで成立した、公共の場所でムスリムの女性たちがヴェールを被ることを禁止した法律が圧倒的多数で可決され、宗教的少数派がないがしろにされていることが問題になってました。いろんな要素が絡まっていると思いますが、かろうじて保ってきた世界のバランスにひびが入ってきてるのではないかと思いました。

このテロ事件の最終日の金曜日、犯人たちは二ヶ所で人質をとって立てこもっていました。現場の一つのスーパーマーケットはヴァンセンヌの森に近く、そこから1,5キロくらい歩いたところには、国立移民歴史館という、移民の起源、歴史を展示している博物館があります。ここは、1931年に開催された、植民地博覧会の折に建てられました。この博覧会ではなんと、アフリカの原住民族が生活環境そのまま再現して展示されたということです。それから植民地が開放された後の1960年、アジア・オセアニア美術館として開館。美術品の紹介という役割は美術品のコレクションはと一緒に、2007年に新しく建てられたケ・ブランリー美術館に移され、現在は移民の歴史に特化した博物館となりました。地下には水族館があり、家族連れがパラパラといる程度で、普段の展示ギャラリーのほうは閑古鳥が鳴いてるようなとこです。私もすっかり存在を忘れてました。

現在フランスの移民は500万人を超え、人口の約8パーセントを占めています。モロッコ、アルジェリアを始めとするアフリカ地域やインドシナ諸国などの旧植民地、ポルトガル、イタリア、スペインなどヨーロッパ諸国まで様々。ロンドンやベルリンに比べると、パリにはいかにたくさんの人種が集まっているかを感じられます。これだけたくさんの異国の人たちが携えてきたそれぞれの文化や歴史は、フランスの文化の一部となって次世代に受け継げられてきました。フランスの歴史は、移民の歴史でもあり、それはモードの世界、とりわけオートクチュール界でもしかり。フランスのオートクチュールと切っても切れない関係の移民文化と外国人からの影響。そこへ切り込んだ、今までにない意欲的な展示『Fashion Mix 』が現在この移民歴史館で行われています。

確かにパリでは一年中、何かしらのモードの展示がいたるところで行われいますが、この移民や外国人との関係を紐解いていく、というテーマはとても面白い着眼点だと思いました。


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Participation-de-la-maison-Redfern-à-l’Exposition-universelle-de-Saint-Louis,-L’Art-et-la-Mode,-n°23,-3-juin-1904-©-Editions-Jalou-1904

まずオートクチュールの仕組みを作ったと言われているのは、イギリス人のチャールズ・フレデリック・ワース(後にフランス語で、シャルル・フレデリック・ウォルト)。彼は1845年にフランスへやってきて、58年にクチュールのお店をパリに開き、モデルにドレスを着せて顧客に見せる、コレクションのショーを始めた最初の人物。68年には現在まで続いている、パリ・クチュール組合(通称サンディカ)を設立して、オートクチュールのシステムを確立。始まりからして、フランス人ではなく、イギリス人というのは驚きです。


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Vivienne-Westwood—Robe-Fragonard-©-Roger-Viollet

100年以上前のオートクチュールの祖、ウォルトの煌びやかなスタイルは、ヴィヴィアンやジョン・ガリアーノ、アレキサンダー・マックイーンに受け継がれてます。

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Brevet-déposé-par-Mariano-Fortuny-y-Madrazo-(1871-1949-)-pour-un-genre-d’étoffe-plissée-ondulée.-Source–Archives

それから、布地の革新が目覚しかった20世紀。パリにプリーツやベロア、プリント技術をもたらしたのは、スペイン生まれのマリアノ・フォルチュニー。ヴェネチアを拠点としていたけど、20世紀初頭に彼はフランスで発明の特許をたくさん取得し、フランスでの布地の発展に貢献しました。現在でも、イタリアの高級生地はオートクチュール界になくてはならない大きな存在感を発揮してます。


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Schiaparelli—chapeau-chassure-©-Roger-Viollet

また、1930-40年代に一世を風靡した異端児といえば、ハイヒールの帽子で有名なエルザ・スキャパレリ。彼女は、1890年にローマで生まれ、夫についてニューヨークに渡ってから、その後パリにやってきました。シンプルなスタイルが主流となっていた時代に、彼女のシュールレアリストの芸術家の友人たち(ピカソ、マン・レイ、コクトー、そしてダリなど)の影響から、アートを取り入れたスタイルを発表してパリモードの世界を仰天させた。


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Balenciaga—ensemble-pois-©-Spassky-Fischer

また、外国人がフランスへ渡ってきたのにはいろいろな訳があって、政治的な理由であることも少なくなかったようです。その代表的なのが、クリスチャン・ディオールが師と仰ぐ、スペイン生まれのクリストバル・バレンシアガ。彼は第一次戦争後1936年に勃発した、スペイン内戦を逃れてフランスに亡命してきました。パリのホテルで最初のコレクションを1937年に発表し、瞬く間に彼の評判は知れ渡っていきました。パコ・ラバンヌも同様にしてスペインからパリへ亡命し、1950年から63年まではメゾン・ランバンで働いてました。その後1965年に自身のメゾンを開き、メタリックやプラスチックといった素材を使ったドレスでその名を馳せました。このようにして、1950年代にはますます外国人がたくさんパリへやってきて、オートクチュールが最も繁栄していくことにつながります。


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Issey-Miyake—robe-multicolore-©-Roger-Viollet

イギリス人、イタリア人、スペイン人ときて、やっぱり日本人を忘れてはいけない。この展示でも、日本人も大きく取り上げられてました。中でも、パリの服飾学校で学び、「一枚の布」というコンセプトを掲げて、76年にパリでコレクションデビューしたイッセイミヤケ。そして80年代初頭にボロルックで「黒の衝撃」として旋風を巻き起こした、川久保玲(コムデギャルソン)、ヨージヤマモト。
そして、ベルギーのアントワープ王立美術学校の卒業生たち、アントワープ6+1と呼ばれる、アン・ドゥムルメステール、ウォルター・ヴァン・ベイレンドンク、ダーク・ヴァン・セーヌ、ダーク・ビッケンバーグ、ドリス・ヴァン・ノッテン、マリナ・イーそしてマルタン・マルジェラが後に続きます。

20世紀に入ると、国や地域での文化交流がますます盛んになり、より流動的になってきます。パリコレクションで発表しているのも、フランス人は3分の1、外国人が3分の2を占めるほどになってます。パリに住まないで外国を拠点にしていても、パリコレで発表する、という場合も多い。また特徴的なのが、シャネルをカール・ラガーフェルド、ランバンをアルベール・エルバスが、ルイ・ヴィトンをマーク・ジェイコブス(2013年まで)といった具合に、パリのメゾンのトップ、アーティスティック・ディレクターを外国人が務めていること。展示にはなかったけど、そういえば歴史の長いエルメスも創設者はドイツ人のティエリー・エルメス。その子孫が現在も継いでいる家族経営の会社です。100年以上前から外国から多くのものをもたらされて発展してきたパリのモードは、言葉通り世界のクチュール文化が凝縮していると思います。それを支えてるモデリストや縫製師の技術者たちもフランス人だけではなく、世界中から集まってきているのも面白いことだと思います。大資本の手中で転がされてしまってるところもあるけど、パリのクチュール文化は、すでにフランスだけのものではなくて、世界の文化、遺産になってると思います。フランスの文化統合は、あんまりよく語られないことが多いけど、国が服飾文化や食文化を大切に保護してきたからこそ、ここまで発展してきたので、いい側面もあるような気がしました。
ああいった事件が起きた後に改めて展示を振り返ってみて思うのは、本来はモードの世界だって、人種の枠を超えて、世界中のみんなで引き継いで盛り上げて発展させて行くことができるものじゃないかなっていう希望を持たせてくれた気がしました。

   
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